2017年1月30日月曜日

レッスン29

レッスン29
『私が見ているあらゆるものの中に、神がいる。』

3.
だから、今日はどうすればすべてのものを愛と感謝と開かれた心で見ることができるかを学び始めようと努めなさい。

あなたは今それらを見てはいない。

あなたはそれらの中に何があるのか、知りたいと思わないだろうか。

すべては、あなたの目に映っているようなものではない。

その聖なる目的は、あなたの狭い視野を超えたところにある。

心眼(ヴィジョン)が、世界を明るくする聖性を見せてくれたときに、あなたは今日の概念を完璧に理解することだろう。

そして、どうしてそれが難しく思えたのか理解できない、と思うことだろう。


☆今日のこと

とうとう「神」という概念がでてきた。

自分の知覚や感情の方が大切で、神や聖霊にどうぞと譲ることができないでいる。

自分の知覚の正しさを主張して証明したくて、連日、必死に無意味な戦いと葛藤に苛まれている。

2017年1月27日金曜日

レッスン26

レッスン26
『私の攻撃的なかんがえが、決して傷つくことのない私の強さを攻撃している。』

レッスンの時間をとる選択ができず、夜に連続5回のトレーニング。

どの回にも共通して、他者の目や評価が恐く、自分からも他者からも無価値だという確定的判断をくだされることをこの上なく恐れていた。

恐れが溢れだし、窮屈で、この制限からもう出たいという叫びでいっぱいだ。

そして、今夜は一週間ぶりに正気な(選択ができる)心が戻ってきて、どうであれ清々しい。

レッスン25

レッスン25
『どんなものであれ、それが何のためにあるのかを知りません。』

何日間も眠れないほどのずきずきとした痛みと同時に孤独感にのたうちまわる。

そこにも一体化しようとする衝動が起こるが、諦める(一体化を放棄する)という選択をしたとき、痛みはあれども深い眠りが訪れたり、それらに支配されないことが起こる。

そこには自由がある。

2017年1月23日月曜日

レッスン23

レッスン23
『攻撃的な考えを放棄すれば、私は自分が見ている世界から脱出できる。』

痛みと疼きは、去った!乗り越えたぞ!と思っても、何度でも何度でもやってくる。

同時に、孤独を一瞬だけ埋めてくれる甘美な囁きに心が揺らぐ。

2017年1月10日火曜日

レッスン10

レッスン10
『私の考えには何の意味もない。』

この概念が、私が今信じているすべてのことから、私を解放してくれる。

レッスン9

レッスン9
『私は、何も今あるままには見ていません。』

1分は想像以上にゆったりした時間でもある。

たった1分を、自分という枠組みや自分の考えや感情を捨てて全面的に捧げることは、何よりも優先したいことではないだろうか。

2017年1月9日月曜日

レッスン8

レッスン8
『私の心は過去の考えにとらわれている。』

3.
今日の演習の目的は、あなたの心がまったく真に考えていないときに、その時点でそれを認識できるように心の訓練を始めることである。

真の想念が欠如した考えがあなたの心を捉えている間は、真理は妨げられている。

自分の心が真の考えで満たされていると信じるのをやめて、それが単に空白だったと認識することが心眼(ヴィジョン)への道を開く第一歩である。

▫今日のこと▫
抑えようもなく何度もキレる。

体型、食べること、痩せろとかそんなに食べていいの?と言われた瞬間に、不機嫌さと怒りと涙と罪悪感とに激しく襲われる。

おそらく、食べることは一体化であり、一体化によるこの上ない快感によって(具体的には感じていないけど)、足りないものを埋めたり、逆に感じないようにする手段のひとつ。

本当は食べることでなく、セックスでもそれらは満たされ、相手さえいれば、見境なくする衝動が抑えられないだろう。

2017年1月8日日曜日

レッスン7

レッスン7
『私は過去だけを見ています。』

▫今日のこと▫

真実を知りたい、本質的に何か改善できることがあるのではないかと心から祈った数年前と同じ状況が繰り返された。

家族の中で繰り返される、攻撃と愛情の取引き。

そして、子である私を自分の言動の言い訳としないでという痛みと叫び。

真実の愛とはどのようなものか。

この目の前の避けられない状況において、今この瞬間には、両親の言動の中にはどのような自我の動きや目的があるのか、直面して動揺している私の側の自我の動きはどのようなものか。

一体化しないこと、あるいは疑いを発すること。

2017年1月6日金曜日

一言日記のマイルール

レッスン番号とフレーズ以外に書かない日がつづくことを完全にゆるす。
(完璧にやろうとしない。)

感情や不満を吐き出す場所としない。
(一体化から離れて起こっていることや自我を眺める機会とする。)

できうる限り、簡潔で短い言葉とする。