2017年3月26日日曜日

揺らぐときには

奇跡講座 テキスト編(中央アート出版)
第5章Ⅲより抜粋

誤った声に誘惑されたときには、私に呼びかけなさい。

そして、私の決断を共有し強化することで癒すことができるということを、思い出させてほしいと求めなさい。

☆今日のこと☆

独立するまでは、実家でかなり多くの時間と密度を母と共に過ごしてきた。

それにも関わらず、自我の要求や取り引きなしに、本当に心かよう瞬間というものを過ごしたことは、もしかするとほとんどないのかもしれない。

コースや赦しや聖性などを心の中において母と会話するとき、母がしがみついて決して離さない、母の中の強烈な「咎め」と「不満」にどうしても気づいてしまう。

同時に、しばしば、母の求める要求を満たせない自分に罪悪感がわき起こること、本当は自分は悪くはないのに苦虫を噛み潰したような気持ちになること、母の怒りを緩和させるために要求に従ってしまうことというのが起こってくる。

今夜は特にそれらが強烈で、怒りや恨みや咎めというのは本当に本当に牢獄で不幸だと感じた。

そして、私の中にどのような自我のダイナミズムが起ころうとも、それらは真の姿ではないし、持つ必要のない罪悪感だ。

私はどれほど母や自分の自我が咎めや罪悪感を主張しようとも、もうそうした分離のストーリーで絆を築いていくことはもう決してしない。

今日、耳にとまった箇所。
テキスト11章8より

T-11.VIII.2.

The Bible tells you to become as little children.

Little children recognize that they do not understand what they perceive, and so they ask what it means.

Do not make the mistake of believing that you understand what you perceive, for its meaning is lost to you.

Yet the Holy Spirit has saved its meaning for you, and if you will let Him interpret it, He will restore to you what you have thrown away.

Yet while you think you know its meaning, you will see no need to ask it of Him.

2017年3月25日土曜日

The power of one mind can shine into another, because all the lamps of God were lit by the same spark.

It is everywhere and it is eternal.

T-10.IV.7:5 Sent from ACIMQuotes

2017年3月24日金曜日

レッスン82

レッスン82
1. 世界の光は私の赦しを通して、すべての心に平安をもたらします。

2. 私に私の機能を忘れさせないでください。

☆今日のこと
仕事での数字や締め切りや量がきつく、とにかくトラブルに巻き込まれ続け、今朝は心まで巻き込まれていた。

仕事中、レッスンをしながら、自分の価値判断を取り下げ、自分個人のストーリーというものを取り下げつづけたとき、ある瞬間から状況に関わらずにくつろいでいる状態が訪れた。

心を明け渡すとき、自我ではなく一度も離れたことのないものが流れ込んでくるとき、問題は問題でなくなる。

そんなことを驚きと共に見た一日。

2017年3月20日月曜日

レッスン79

レッスン79
「私の問題が解決されるように、私が問題を認識できますように。」

問題がどのような形で現れようと、自分には分離という問題しかないということが認識できたなら、その答えの妥当性がわかるので、それを受け入れることができる。

目の前に立ちはだかるように見えるすべての問題の根底にある一様性を知覚することによって、あなたは自分がその全部を解決する手段をもっていることを理解するだろう。

そしてあなたは問題を認識するので、その手段を使おうとするだろう。

(中略)

私たちは、ただ一つの問題とただ一つの答えがあるだけだと認識するよう努力する。

この認識の中に平安がある。

今日は問題の形態に惑わされてはいけない。

何か困ったことが生じてくるように見えたときには、いつでも速やかに次のように自分に言う。

問題が解決されるように、私がこの問題を認識できますように。

(奇跡講座 中央アート出版より抜粋)

☆今日のこと☆
母は毎週欠かさず祖父の施設や病院へ様子を見に行くが、それは義務であり、早く切り上げて帰りたくて仕方がないものであり、時間がもったいないと思っているようだ。

今夜も祖父母との時間は母にとってはそうしたものであったようで、とても悲しくなった。

誰とであれ、共に過ごす時間は貴重な一瞬一瞬の機会であり、本当にそうしたものを大切にしていきたいと心から思う。

今、新たなことを考える中で、アイデアが出たりはするものの、本当に自分にそんなことができるのかと不安や恐れも押し寄せる。

でも、それは私自身がやることではないから、ただ一点、根幹の強い思いからぶれさえしなければ、あとは整っていくはずだ。

そのためにいっぱいできることはやろうと思う。

レッスン78

レッスン78
「奇跡がすべての不満と入れ替わりますように。」

出会う人一人ひとりが救いを差し伸べてくれるのを受け入れ、その人の光が私たちの不満の影に隠れてしまうのを拒否するとき、誘惑は崩れ去る。

出会う人、心に思い浮かべる人、過去の記憶から思い出される人、その一人ひとりに救済者の役割が与えられるのを受け入れなさい。

そうすればあなたもその役割をその人と共有できるようになるだろう。

あなたがた二人のために、また、真の視覚をもたないすべての者たちのためにも、次のように祈ろう。

奇跡がすべての不満と入れ替わりますように。

(奇跡講座 中央アート出版より抜粋)


レッスンをやりながら自分の中でテーマとなったことは、ひたすらに「待つこと」。

「奇跡」と入れ替わっても替わらなくても、それがどのタイミングで訪れたとしても、ただ自分の判断を取り下げようとしながら信頼して安心して待つことを繰り返す。

今日は両親と日帰り旅行へ行き、嬉しいこともたくさんあったけれど、自分の中の赦しのレッスンで溢れた日でもあった。

例外なく、目の前に現れてくれた人の手をとりつづける、今生において肉体が終わるその瞬間まで、どんな形でかはわからないけれど、それだけをやり続けることを改めて固く固く誓った。

2017年3月18日土曜日

レッスン77 / 「奇跡」とは

今日はレッスン77
「私には奇跡を受け取る資格があります。」

初め、レッスンの言葉が頭に入ってこず、そういえば「奇跡」ってなんだったかなと思って特別解説に立ち返った。

☆奇跡講座ワークブック編(中央アート出版)より抜粋  ☆

特別解説13「奇跡とは何か?」
4.
奇跡ははじめはただ信じることから始まる。

なぜなら、奇跡を求めるということは、心が自ら見ることも理解することもできないものを思い描く用意ができたということを示唆するからである。

それでも、信じることによって、奇跡の土台となるものが本当にそこにあると証しするものがもたらされるだろう。

そうして奇跡は、あなたがそれを信じたことが正しかったと納得させてくれる。

そしてその土台にあるのは、あなたが以前に見ていた世界よりもずっと実在性のある世界だと示してくれるだろう。

それは、あなたがそこにあると思っていたものから贖われている世界である。

5.
奇跡は、餓えと渇きに苦しむ生き物たちが死ぬためにやってくる乾いた埃まみれの世界に、天から降り注ぐ癒しの雨のしずくである。

今や、彼らは水を得た。

今や、世界は緑に包まれる。

あらゆるところに生命のしるしが芽吹き、生命あるものは不滅なので生まれたものが死ぬことはないと教える。

2017年3月15日水曜日

レッスン74

レッスン74
「神の意志のほかに意志はない。」

神の意志のほなに意志はない。
私は今日、神の平安を求める。
(中央アート出版より)

仕事の来客で、刑務所へ何度も入り、20年来の恨みや納得のいかなさを激しく持ち、聞く耳を持たない人と一対一で長時間過ごすこととなった。

会社として提示できる落としどころがないこと、刺青いっぱいで延々と続く怒りと恨みを目の前にして、私の身体はどんどん硬直し、恐れは膨れ上がった。

今日のレッスンだけは忘れず、ひたすらレッスン一点だけに心を合わせつづけたら、あるときから自分の中に果てしないくつろぎが訪れ、ゆらゆらと漂い、安心していた。

奇跡に難しさはなく、神の子に例外はなく、本当の意志は神の意志以外にはないということに気づかざるを得なかった。

私はこうしたことを見ることのためなら(捨てるものはないけれど)何を捨てても惜しくないし、そのためならどんな努力もできる。

そんな力強さを感じた一日。

2017年3月7日火曜日

レッスン65

レッスン65
「私の唯一の機能は、神が私に与えた機能です。」

私の唯一の機能は、神が私に与えた機能です。
私は他のいかなる役目も望みません。
私には他のいかなる機能もありません。

☆今日のこと☆
至ってシンプルなレッスンだ。

何をしていても、問題があっても、迷ったり困ったりしていても、どれほど自分が役立たずに思えても、瞬時にレッスンに戻れば、神が与えた機能以外のものはないと指し示されている。

今日は、怖くて萎縮してしまうけれど、再び会わなければいけない人のことが何度も思い浮かんだ。

お昼休みに歩きながらレッスンをするうちに、その人は何に脅えているのだろうと、ふと隙間ができた。

出会いに偶然はなく、必ず自分の内側の投影だ。

そして、その出会いは必ず手と手を取り合う機会がもたらされるものとなりうるもの。

せっかくのたくさんの機会、どれひとつとして無駄にせず、聖なる瞬間がもたらされるよう開きたい。

2017年3月3日金曜日

レッスン61

レッスン61
「私はこの世界の光です。」

私はこの世界の光です。
それが私のたったひとつの機能です。
そのために私がここにいます。

(中略)

このレッスンはこれから数週間私たちがとることになる数多くのステップの最初の一歩です。

今日はこれらの前進のためのしっかりした土台を築き始めるように努めてください。

☆今日のこと
今日は、これからのレッスンの土台作りのための重要な一歩だということを肝に命じ、一日中忘れないでいられた。

自我の声ではないものへのチューニングの感覚がほんの少しだけ戻ってきた。

それは、小さなことでも予想外をもたらして驚かせてくれる。

そして、もうひとつ驚いたことに、母からの愚痴を、神の子としての唯一の機能だけを忘れずに聞いていたら、彼女の中から深刻さが消えて笑いに変わってしまったようだ。

どの人との間でも、こうしたことをたまに見ると、純粋にただうれしくなる。

今日は、たまたまのこの人生において、人生が終わるその瞬間まで、自分自身の中のゆるしを見続けようと改めて心の中に決意が広がった一日だ。