レッスン124
「私が神とひとつであることを思い出せますように。」
1ヶ月ほど前にこのレッスンをやったときも、母と似ていて苦手で怒りがわいてくる人と一日を共に過ごした。
偶然にも、母と日帰り旅行の今日も、再びこのレッスン。
再びレッスン121から丁寧に取り組む中で、過去を手放すことへの自分の恐れを見つめたとき、母の中にも同じものを見て怒っていること、同じ牢獄の中にいる兄弟に他ならないことを感じた。
そのときから自分の中の何かが止まったのかもしれない。
今年はどうしても紫陽花が見たくて、母の誕生日プレゼントととして、急遽誘って母の知らない土地を一緒に訪れた。
普段なら、色々なことに怒りと苛立ちを感じるか、我慢して私が不機嫌になるか、母が怒りだすかだけれど、今日はこれまでで初めて本当に一度もそうしたことを感じることなく、純粋に瞬間瞬間がただただ楽しかったり夢中だったり。
そんなときにはまったく無理がないから、疲れないし、エネルギーがわいてきたりで、帰宅後、久しぶりに掃除までできた。
トイレやお風呂を隅々まで掃除したら、何か爆発したように泣けてきて、母への葛藤の代わりに、今度は死や病という形で物理的肉体的に分離がリアリティーを持っていることがただただ悲しくなった。
どんな思いにしろ、その根本的な原因は「神からの分離」で、そのドラマが何度でも繰り返される。
今日はレッスンの適用と、「原因についてのコース」の再読がまた役にたった。
形に惑わされることなく、赦しとともに過ごしていこうと思う。
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