レッスン121
「赦しは幸せへの鍵である。」
レッスン122
「赦しは、私が望むものすべてを与えてくれます。」
ここ数日は、121と122の「赦し」のレッスンにとどまっていた。
ふとでてきたキーワードは「過去」。
知覚は常にそこにないもの、幻想を見続けている。
過去という錯覚を取り消し、新たな見方を選択することにはちょっと勇気がいる。
それは可能性の広がりでもあるのだけれど、過去というデータベースを真っ白にしてしまうことに自我は恐れを抱く。
そして、さびしさや悲しさも伴う。
母は、究極な形でこの過去への執着と今にとどまることへの恐れを見せつづけてくれている。
すでに忘れてしまったり、今はまったく違う見方となっていて思い出せないような過去の言動をもちだし、私が今感じていることには目を向けてもらえない。
決して期待はしていないけれども、それでも、私の話を一瞬たりとも聞いてもらえないことにはやっぱり悲しみを感じる。
ただ、連日の赦しについてのレッスンの中で、過去から見ることをやめる選択に伴う自分の中の恐れを認めてみたとき、根底には同じ恐れがあるんだと受け入れる瞬間もあり、同時に怒りがほどけるのも感じた。
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