1. 私が見ているものには何の意味もありません。
2. 私が見ているものに、それが私に対して持っている意味のすべてを私は与えています。
3. 私は私が見ているものを何も理解していません。
4. これらの思いには何の意味もありません。
5. 私の心の動揺は、私が考える理由によるものでは決してありません。
ー今日のことー
この上ない孤独、何をしていてもつきまとう不快感、葛藤と執着。
根底にあるのは、「分離」なのだろう。
言葉の上でしか想像がつかないから、あくまで「だろう」だ。
様々な本を読み、答えを持っていそうな人たちに繰り返し尋ね、逆に気を紛らせることもやってはみた。
でも、これに対する答えはやはり得られず、解決策も得られず。
(本も人も可能な限り、最大限出し惜しみなく差し出してくれるけれど、受け取れない。)
それは、今すでにここにあるものだ、つかんだり、理解したり、個人的なものではないということが何度も何度も伝えられる。
とうとう、自分が求めているものは、おそらく奇跡のコースというツールを使ってひたすら問いかけるしかないという降参と(自我による)敗北感にぶち当たった。
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