目の前の相手の理解の範疇を超えた行動や苛立たされる言動に、何度もキレそうになった。
なんとか冷静になろうとするなかで、「この人がこの言動をしなければならないのはどうしてだろう、何を恐れているのか」という視点が起こったとき、ひとまず自分の内側に意識を向けやすくなり、助けとなると感じている。
それでも、自分が被害者ではなく、上下もなく、自分自身も同じように恐れているということを「受け入れ」始めるのには時間を要する。
言葉を交わすコミュニケーションが成立しない形、逆に、言葉を交わしていてもその背後に自我の恐れがくっきり見えてつながりなどないように感じる形。
そのあまりの空しさに、丸一日以上、生きることを放棄し、身体の機能としても欲や味覚や循環もやめてしまったようだ。
目の前の相手が原因ではないが、これほどまで、真のつながりやコミュニケーションというものを切望し、それらの難しさに絶望し、きっと何千回、何万回と絶望して諦めるということを繰り返してきたのだろうとなんとなく思う。
少しずつ停止した状態からぬけだしながら、今回はきっと諦めない、そんな思いがわきあがる。
0 件のコメント:
コメントを投稿